The Hermit

木畑 多朗は探索者に潜入する敵対者である。
有田達は知らない事だが、彼と御数木梓沙は同郷の幼馴染であり、彼女が入念な策をもって探索者たちを罠にはめ、とある儀式のために利用しようとしていることを知っている。
梓沙は木畑を巻き込みたくないと考えているため計画の全容を知らないものの、その計画を推測して陰ながら成功に導いていくのが木畑の使命だ。
たとえ友人たちを裏切ることになるとしても。
過去については下記前日譚を参照のこと。
秘密の技能:ナビゲート(凶)[50]
幼いころ加賀池村を遊び歩いた記憶から、危険な場所は熟知している。
通常のナビゲートロールと併用することで同行者に災害をもたらす。




前日譚

 


山に囲まれた盆地にある加賀池村の天気はうつろいやすく、
いつだって雨が畦道を濡らしていた記憶しかない。
正直に言えば、生まれ故郷の土を二度と踏む気はなかった。
あそこにはわずかな優しい思い出と、それを塗りつぶすような悔恨がまみれているんだ。

御数木 梓沙(みかずき あずさ)は家が隣の幼馴染みだった。
彼女には病弱な妹がいたが、ずっと隣町の病院に入院していたから
俺はほとんど顔を見たことがない。今となっては名前さえおぼろげだ。
両親は妹にかかりきり。だから彼女はいつもひとりぼっちだった。
二人きりの時間、互いに親にかまってもらえない寂しさを埋めるように、
長靴を履き、傘を差して、遅くまで狭い村の中を遊び歩いた。
心地よい時間だった。俺は梓沙が好きだった。
加賀池村の美しい想い出は、ここまででおしまいだ。






夏至の日に、病状の悪化した梓沙の妹が亡くなった。
茹だるほどに暑いのに雨はしとしとと降りやまず、
静粛な葬式のさなかにもずっと蛙のこえが五月蠅かった。
参列者に礼を述べる梓紗の母親を、俺はこの日ずいぶん久しぶりに見たと思う。
両親の足元でうつむいている梓沙を見て、「これからは両親に遊んでもらえるようになるだろうか」とぼんやり考えたことを覚えている。
自分の役割がなくなるようで少し寂しかった。

けれど、末娘を喪った母親の心は元のようには戻らなかった。
葬式が終わってから3ヶ月後、御数木家では毎日のように「オロガミ」が行われている。
オロガミとは、加賀池村に伝わる法事のような儀式だ。
庭に深く広い穴を掘り、そこに水を張って池とする。
そして、頭からその水を被って、お経のような歌を歌い続ける……それも、真夜中に。
季節は既に秋の際だ。夜になれば屋根の下でも肌寒いのに、行水をしてそれを行うのは苦行以外の何物でもない。よっぽどの執念が無ければ続けられなかっただろう。
深夜、蛙の声とともに聞こえてくる歌声はいつも母親だけで、父親も梓沙もそこにいない。
父親はもう今は亡き末娘を想っていなかったし、母親は今も亡き末娘を想っている。
変わらず独りぼっちの梓沙が不憫だった。





何日目の夜だっただろう。オロガミのさなか、流れてくる歌声がふいに途切れた。
代わりに怒声が轟く。梓沙の父親だった。庭先でずぶ濡れの母親と言い争っている。
俺は雨戸を少し開いて、二階からその様子を覗いていた。

「もうやめろ!こんなことをしてもあの子が帰ってくるわけじゃないんだぞ!」

「……あなたはいいでしょう?どうせ、あの子のことをそこまで愛しているわけでもなかったんだから。でなきゃ、私達に黙ってあんなことできるはずもない」

「とっくに終ったことだ!……お前だってそうだろう。あの子を延命させたのはお前の独りよがりだ!お前はただ尽くすことで安心したかっただけだろ!」

「……よくも、よくもそんなことを!」

憎しみに満ちた唸りだった。
雷光が轟くとともに雨が激しくなり、二人の姿も見えなくなっていく。
バシャバシャと池の水が跳ねるような音が聞こえ、恐ろしい想像が膨らむばかり。
俺はもう御数木家の庭に背を向け、布団に包まって震えることしかできなかった。
あんな恐ろしい、殺意のこもった声は初めて聞いた。そして、今はもう雨音しか聞こえない。あの二人の間で何が起きた?どうしたらいいんだろう。俺にできることは何がある?自分の親を呼ぶのか。警察に連絡するべきだろうか。
梓沙はあれを見ていたんだろうか。あの両親の、みにくい争いを。
……雨足が弱まるころ、俺はようやく意を決し、布団を振り払い、震える足で庭へ出た。




月光が映える池の淵、梓沙が両ひざをついて座り込んでいた。
池の傍らには父親が頭から血を流して死んでいる。整理が追いつかない。
蛙の鳴き声がゲロゲロゲロゲロと不快に響き、頭がおかしくなりそうだった。

「梓沙。お母さんは……?」

そう尋ねるのが精いっぱいだった。最悪の想定はしていたが、これだけは整理がつかなかった。
梓沙が振り返り、こちらを見る。彼女は泣いていた。

「いない。いっちゃったんだ……」

そう言って、ふらりと倒れこむ。
俺はただ警察が到着するまでその肩を抱いてふるえていた。
梓沙と言葉を交わしたのは、この不可解な会話が最後だった。

警察が到着すると、すぐに梓沙はパトカーで護送され、俺は事情聴取を受けた。
父親は池の縁石に頭部を強打して脳内出血で死亡、母親は行方不明だ。
警察は状況と証言から、父親の浮気を動機に母親が殴殺し、そのまま逃亡したと断定した。
村内では連日捜査が続けられたが、容疑者が見つかることはなかった。
彼女が履いていたサンダルは池の前に履き捨てられているのに、捜査では足跡さえもつかめなかったのだ。
この片田舎のそんな事件はたちまちマスコミの注目の的となり、
俺は何度も追求を受けた。梓沙はマスコミを避けるために、そのまま遠く親戚の家へ引っ越していった。
あの後無事でやれているのか気になったが、子供のころの俺はもう追う気にはなれなかった。

二人で遊んだ家はそのままだったが、玄関の前を通るたび陰鬱な気持ちになった。
あの夜を思い出すのもそうだが、誰もいないはずのこの家はいつも小奇麗なままで、
前に立てばいつも、誰かに見られているような気味の悪さに襲われる。
もう一時だって、あの事を思い出したくない。
俺は逃げるように加賀池村を出て、遠くの高校へ進学した。
勉強は好きじゃなかったが、人を救う仕事に就きたかった。




大学では友人ができた。有田は多趣味な男で、俺をいろんな遊びに誘ってくれた。サークルを薦めてくれたのも有田だ。苦手だった人付き合いも苦でなくなり、俺はようやく心から笑うことができていた。
あの事件を忘れて、楽しく生きられるんじゃないかと思っていた。

 

半年前にサークルの交流会で出会ったとき、一目でそれが梓沙だとわかった。
向こうもそれは同じのようだったが、一瞬だけとても悲しそうな顔をして、初対面のように名乗る。
名前は御数木梓沙。間違いなく彼女なのに、なぜ?


「タロウくん、できたらさ……このサークルの人に、私とのことは秘密にしておいてほしいんだ。加賀池村のことも、ぜんぶ。誰にも話さないで」

会場から離れた誰もいない場所で。彼女はまた、さっきと同じ顔をしている。

「え……どうして?」


「タロウくん、すごく楽しそうだったね。友達もかわいい後輩もいて。心から笑ってた。本当に、本当に良かったと思う。あんなことに巻き込んでしまったのに、今タロウくんが幸せそうにしていてくれることがうれしい。本当によかった……」

破顔して、泣き始める梓沙に困惑する。
なだめる言葉を探しても本心しか出てこなかったが、今はそれが一番いいと思った。

「有田たちのこと?いい奴らだよ。きっと梓沙とも気が合うと思う。俺も最近やっと、生きるのが楽しくなってきたんだ。また遊ぼう、子供の頃みたいに……」

「私は!!」

 


言葉を遮って怒鳴る。さっきまで、泣き笑いしていた女の子とは思えない。

「――私はひとりだった!あの夜からずっと!母さんが消えてからずっと!ずっと、ずっとずっと、取り戻すことを願ってきた!だから……!」

やめてくれ。こんな顔、見たくなかった。俺の綺麗だった思い出がつらい現実となって蘇ってくる。

「……オロガミって覚えてるよね。あの村の儀式を。あの夜、母さんはオロガミで消えてしまったんだ。私はもう一度あれをやって、むこうにいってしまった母さんを取り戻す。そのために……人が必要なんだ。人柱が。私はそれを見つけるために、このサークルに入ってきた」

彼女の目はもう乾いていた。その瞳には鬼が宿っている。
人柱というのは、間違いなく犠牲のことだ。あの夜母親が消えたように。
儀式の全容は分からないが、彼女は人を犠牲にしようとしているんだ。

「タロウくん。私のしようとしていることは決して許されないことだから、あなたには関わってほしくない。だけど、絶対に邪魔だけはしないで。タロウくんだけは人柱にしたくない」

目の前の女の子を怪物にしてしまったのは俺だ。
俺はなにもできなかったのに、俺だけがあの夜のことと彼女のことを忘れて楽しく生きようとしたから、神様がツケを払わせに来たんだ。

物陰のゴミ箱から空き缶が落ちる音がして、二人で振り返る。

「……もう帰ろうか。こんなとこ、誰かに見られたら困るもんね」

空き缶を拾い、ゴミ箱に入れなおす。これは俺の仕事だ。
きみが手を汚すなら、俺も手を汚そう。
雨が降り続けている。俺の運命はもう決まっていた。


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